多様性を謳うイベントで Imagine を流す違和感。
さて、1年遅れで東京オリンピックが開幕。
開会式のクオリティはさておいて、この場でジョン・レノンの名曲『イマジン』が流されたことに違和感を感じたので考えてみる。
『Imagine』という曲はご存知のとおり、いろいろなものを捨てたら平和な世界になるんだよ、という内容なのですが、これが開会式で散々強調される「多様性の尊重」という価値観とズレているから居心地が悪いのかな、と思います。
歌詞を見てみる。
「国」というものがないことを想像してみて。
「宗教」がない世界も。
「所有」のない世界も。
みんなで世界を分かち合うことを。
うん。
「平和で争いのない世界を目指そうよ」という考えには勿論、共感します。そうなればいいと思う。でも、それを実現するために『Imagine』の中でジョン・レノンが求めているのは、国も宗教も所有もない「画一的な世界」です。皆が同じ価値観を持った社会ができれば、そこに争いはなくなり平和になる、と。
今回のオリンピックの理念のひとつとして掲げられている「多様性の尊重」とは真逆の発想。要するに、現代の我々とジョン・レノンとでは、「平和で争いのない世界を実現する」という "目標" は同じでも、その為の "手段" に大きな違いがあるわけです。
方法論の違い。どちらが良いとか悪いとか、どちらが正しいとか間違っているとか、そういうことではなくて、ただ単に「違う」という話。
「違う」から当然、違和感が漂ってしまう。『イマジン』は名曲だけれど、今回は場違いだった。
深く考えずに、雰囲気だけで選曲しちゃ駄目なのだな。
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【2022.02.05 追記】北京の冬季オリンピック開会式でも『イマジン』が流されました。
上記のような考察をしたあとだと、共産党中国は深く考えて選曲したのだな…と思ってしまう…のは、深く考え過ぎなのかもしれません。